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目次

1. 自著を語る『保育の中の子どもの声』

2. 加藤繁美先生から読者のみなさまへ

3. みなさまからのご感想

4. 感想投稿フォーム

加藤繁美先生から読者のみなさまへ

 『保育の中の子どもの声』は、シリーズ「希望の保育実践論」(三部作=予定)の一冊目にあたります。今、小さな子どもの声をていねいに聴きとり、その声に誠実に応える実践を通して、この社会に「希望」の風穴を開けたいと考えたことに、何よりも大きな思いがあります。

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 「新保育論」というシリーズタイトルを冠して『保育者と子どものいい関係』を出版したのがちょうど30年前のことでした。「時代は今、新しい保育実践論を求めている」……こんな書き出しではじまるこの本で語った内容が、30年の月日を経てどれだけ具体化したのかと問われると、忸怩たる思いに襲われることも事実です。あるいはそれから15年後に出版した『対話的保育カリキュラム(上・下)』で語った、「対話的保育カリキュラムが子どもを救い、社会を変える」という主張が、15年の間にどこまでリアリティあるものになったかと問われると、これまた悩ましいものがあります。
 しかしながら、この30年の間に、子どもの「声」と保育者の「声」とを心地よく響きあわせようとする、たくさんの誠実な実践に出会うことができました。この本の中には、そうした保育者の実践に学んだ内容がちりばめられています。
 たしかに、保育実践の現場をドラスティックに転換することが容易にできるとは思っていませんが、それでもこうした誠実な実践が生起し続けるかぎり、保育に「希望」を持つことができると私は確信しています。
 多くの人が本書を手に取り、自分の実践を考える契機にすると同時に、たくさんの対話が起きることを願っています。読んだ人の内部で起こる対話でも構いませんが、私を含めて、手に取ってくださった人と人の間で、相互の思いを語り合う直接の対話が起きるとステキです。そんな対話の場を提案してくださる方がいれば、ひとなる書房に連絡してください。内容に関する批判的な意見も含めて、保育の世界に活発な対話が起こることを期待しています。


2023年10月 山梨大学名誉教授 加藤繁美


みなさまからのご感想

対話しながら、学びあいたい

近藤幹生(白梅学園大学元学長)

 12月から、じっくり読んでいる保育の本を、紹介してみます。加藤繁美先生による『保育の中の子どもの声』(ひとなる書房、2023年10月刊)。
 いま、困難な保育だか、保育の豊かな可能性をとらえようとしています。目次は、以下のようになっています。第1章 自分の声を聴きとられる権利子どもの声を聴きとる責任、第2章 声を持つ自由、発達する自由、協同する自由、第3章 リスニングと関係性の保育実践論、第4章 逸脱と参画の保育実践。
 さらっとは、読めませんが、二回目を開き始めました。部分的ですが、わたしが、認識を深めたところを、ふれます。シンポジウムなどをしながら、学び合いをかさねたい本書です。

 先生がとりあげている課題として、子どもの声を聴きとられる権利、聴きとる責任に、注目します。子どもの権利条約を、日本は、批准して、30年も経過しています。しかし、保育実践現場は、どうでしょうか。制度、財政も立ち遅れていますが、より深く考えてみると、聴きとる責任を、私たち大人が十分に果たしていないことに、気づきます。どうでしょうか。
 他にも、考えあえるテーマが、豊富にあることが、本書の魅力だと思います。私も理解が足りない箇所がいくつもあります。今年は、何度も、開く本になりそうです。よろしければ、是非、対話しながら、学びあいましょう。

自身のスタートとなり仲間とのスタートでもある

上田隆也(保育士)

 私はこれまで、師の読書法を参考にさせてもらいながら、本を読む時に「後で見返したい」と思ったところは右ページなら右上に、左ページなら左上にドッグイヤーをつけてきました。しかし、この本はページ下部で、参考文献の概要や時代背景などが丁寧に説明されているので、その中で見返したいと思ったところは右下や左下にドックイヤーをつけることが必要でした。結果として本を読み終えると、P70、116、120、149などなど、私の読書史上で初めて、1ページで上も下もドッグイヤーされていました。本全体を横にすると、まさに両耳が折れた犬の顔の様でした(笑)。

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 しかしながら、その下部の詳しい説明のおかげで、加藤先生が、まるで横に座って話しかけてくださっている感覚で本を読むことができました。時折「この本は、本当は読んでおくべき」なんて声も聞こえる気がしました。ここをスタートに手に取ってみたいと思う本と何冊も出会わせていただき、”自身のスタートとなる”と感じたのでした。
 また、P21の下部に書かれていた、『「子どもの声」を聴くという相互主観的な営みについて語るとき、自分自身の経験に意味がある』という言葉に、現場の保育者たちがチームになり、子どもの声を聴き、考え合い、実践を活き活きとした「自分たちの言葉」にしていかなくてはならないのだと、背中を押された気持ちになりました。
 「ちがいをおもしろがるとは、どういうことなのか」「自由とは何なのか」「子どもとつくりだしたい意味は、真実は、何なのか」「今、どのようなつながりが大切なのか」…本からの様々な問いを、仲間とこの本を通して、実践を語り合いながら考え合っていくことが”仲間とのスタートにもなる”と感じました。
 続編の「カリキュラム編」、「保育者編」も楽しみです。

主流にはなり得ない現実の狭間で揺れている

御手洗賢成(徳山中央幼稚園・園長)

 今回の著書は、前回の“>対話的教育実践を更に保育の現場と時代をつなぐ内容を子どもの声を聴くという切り口から迫り、それを『希望を紡ぎ出す保育実践』と銘打って表現されていると思います。ただ、現場ではまだまだ知識偏重に傾きを於かなければ園運営が成り立たないという現実にたつ、経営者(私立幼稚園・認定こども園・保育所)が多く、研修の流れの方向が全国的にも対話的教育実践の方に向かっている研修を、現場の先生が受けても経営者・運営者がそちらの方向に向きを変えて行こうしない限り現場の実践は、先生主体>子ども主体の回路から抜け出せないのが現状です。

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その背景に、確かに小学校教育の方向が『主体的・対話的で深い学び』として文言が出されたのですが、一向に150年前と同じような講義型の授業が展開されています。

 そのことは、保護者が受けた授業形態と同じイメージを彷彿とさせ、先の文言との接点を持ち得ないまま知識記憶型講義型の学校教育が依然としてつづいているとしか見えないのです。よって、その前段階としての幼児教育を選択する保護者は、知識記憶・講義型風の幼児教育を渇望してしまう構造から抜け出せないです。この構造が、幼児教育の9割以上を占める私立経営者の教育保育の方向を曇らせ、『希望』とは読み取れず単なる理想論として棚の上に置かれた状況を変えることのできない状況を生んでいるように思うのです。ただ、本園での加藤先生のお考えを基本に置きながら実践してきたものとして『緻密で長く継続的』にその意味を届けてきた物としての手応えは感じているものの、主流にはなり得ない現実の狭間で揺れている今感覚はぬぐえません。ただ、この過程が本園でしかない保育の質として価値として粘り強く表明することで受け取っていただいていることも間違いの無いところです。この揺れへの答えが、生成AI時代(答えの出ていない課題に向き合う時代)・多文化共生時代(違いが際立ち、違いが違いのままで認め合う社会)・変化の激しい時代背景(コンテンツを大量に消費させられる社会・タイパ、コスパ社会)希望の保育実践を考えておられる加藤先生の保育論の行方にあると直感しているところです。

 そういう狭間にあって、今回の議論の提案が『現実と希望を』つなぐ橋渡しとなるよう希望します。

この本にはこれからの保育への希望がある

S.Y

 加藤先生の講座を受講していた時に、新しい本を執筆中とお聞きし、ずっと楽しみにしていた本を手にしたとき「やっと読むことができる」とワクワクしました。
 タイトルもステキですが、本の表紙に記されている「自分の声を聴きとられる心地よさ 多様な声を響き合わせるおもしろさ」の文に、子どもの思いと同時にこれは保育の醍醐味でもあると感じて、本文を読むことに期待が高まりました。

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 でも「はじめに」P16、「保育の中にある「無意識の権力性」を意識したとき、保育者は子どもの声にどのように耳を傾け、どのように応答することが求められているのか、明らかにする必要が生じてくることになります」を読んで、ドキッとしました。そして読み進めていきながら「無意識の管理主義」が保育の現実を支配しているという言葉に、自分の保育を振り返ることになりました。私自身も子どもの自主性を尊重している、一人一人を大切にしていると言いながら、「無意識の管理主義」で保育を進めてきていたと気づかされ落ち込みました。。この点に関して加藤先生は本の中で繰り返し厳しいことをおっしゃっていて、一つ一つ胸に刺さりました。

 例えばP114「問題が深刻なのは、こうして子どもの声を利用して巧妙に管理を徹底しているにもかかわらず、そんな話し合いを「子ども主体の保育」と語り、「子どもの権利」を保障していると保育者が語る点にあります」などなど。自分の保育を考えると反省ばかりですが、この本にはこれからの保育への希望があると感じています。

 保育関係の本を最後まで読むことが難しかった私が、一気に読んでしまいました。たくさんの方にこの本を読んでもらいたい、そして保育を語り合いたいと思っています。これから発刊される本を楽しみにしています。

おもしろい! 楽しい! そんな希望に満ちた保育への扉を開いてくれる鍵がいっぱい!

鍋倉功(福岡・保育士、学童保育支援員)

 私たち保育者の「〇〇しよう!」という声に対して、「イヤ!」「したくない!」「せん!」「え~…」なんて子どもたちが言う。こんなことはごくごくあたり前の日常でしょう。そんな時、私たちはどうしてしまっているでしょうか? どうなってしまっているでしょうか? ちなみに私はというと…

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レベル1「そんなこと言わないでしようよ~」(「にこやか」モード)
レベル2「〇〇したら~あげるよ」(「エサで釣る」モード)
レベル3「もう! いいから〇〇するよ!」(「無理矢理」モード)
レベル4「〇〇しないと~させないよ!」(「脅し」モード)

 と進化してしまうことが…よくあります(><)
 「目標」や「ねらい」を持って「〇〇させたい保育者」と、「〇〇しない子ども」との間に「対立関係」が生まれてしまった時に、「〇〇させる」ための“あの手この手”で子どもをその世界に連れていくような実践(目標演繹的実践、本書32ページ)になってしまうことって…よくあるんですよね~…。
 そして、そのための手法として金言のように言われる「壁になる」「線を引く」「譲らない」等といった言葉。「子どもに舐められてはいけない」は保育者なら誰でも言われたことがあるかもしれませんし、「子どもに舐められないように」はきっと誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか(もちろん私も…)。

 そんな保育に「待った!」をかけるのが本書のように思います。この「待った!」の意味は「そんなことしちゃダメだよ!」といったような保育者に“ダメ出し”をするようなものではなく、「いったんストップしてみようか」「その道って楽しくないんじゃない?」「ほら、こっちにこんな道だってあるよ?」「これっておもしろそうじゃない? ワクワクしてこない?」というような“道しるべ”を与えてくれるものです。そして、その大きな“道しるべ”の大きな方向性が「子どもの声を聴く」ということでしょう。
 ネタバレをしてはいけないので詳細を書くことは控えますが、本書は、私たちが「子どもの声を聴く」保育のために

・そもそも「子ども」をどのような存在として見るのか?
・子どもの声をどのように聞けばいいのか?
・子どもとどのような関係であることが求められるのか?
・「はみだしっ子」をどのように捉え、どのような保育を行っていくのか?

 というようなことが、事例も交えながらポイントやキーワード(鍵)を押さえて分かりやすく語られていました。「あ~こんなことあるある…」と苦笑いをしたり…おかしくて笑っちゃったりもしながら楽しく読み進められます。もし、今、子どもとの関わりや保育で、子どもと対立してしまい…平行線になって…行き止まりに突き当たってしまっている先生がいたら、本書の中にある「鍵」が、今まで見えなかった新しい扉を開ける手助けになってくれるかもしれません。

 そういえばちょっと前に、ひとりの男の子が遊んだものを片付けをしないことがあって、一緒に遊んでいた子が「この子が片付けをせん!」とプンプン怒って私に言ってきたことがありました。「どうせ『めんどくさい』んだろうなー」なんて思いつつ、その子に「どうして片付けないの?」と尋ねてみると、彼は一言「つかれてるから…」とひとこと。彼の意外な一言に、私も言ってきた子もびっくり。そしてそこから「片付けさせる」ではなく「『つかれてる』から…今からどうしようか?」という新しい物語が動き始めました。
 2人は話し合った後にまた私のところに来ると…今度は「1分測って」とまたひとこと。「待って? どういうこと? どうしてこうなった? 意味が分からない?」と思う私がまた尋ねてみると「1分経ったらきっと疲れが回復するから。そうしたら片付けする元気が出てくるから」ということでした。なるほど、こんな結末もあるのか! 子どもはおもしろいものです(そして私はめちゃくちゃ真剣に1分測りました 笑)。子どもの声を聴くと、こんなおもしろい結末が待っているかもしれません。

 さて、本書は「希望の保育実践論」シリーズとしてこの後も「カリキュラム編」「保育者編」と3部作で続くようです。本書とこのシリーズは、きっと私たち保育者にとっての「希望」の“道しるべ”となるように思っています。次巻がとっても楽しみです♪

正解のない世界を面白がって生きることができる保育士でありたい

Y.N

 保育の中で「子どもの声を聴く」ことの大切さは常々感じていました。しかし、具体的な実践の中では“クラス全員で年齢別発達課題に取り組むことが子どもの成長には欠かせない”という保育観が主流だったため、とても難しさを感じていました。自分の中で「こんな感じで保育をしたい」と思っていてもなかなか周りの職員にわかってもらえなかったことが、この本では理論的にまとめられていてとてもわかりやすかったです。

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 活動内容を「子どもと話し合って決めた」と言いながら結局、大人の願うものになっているということがよくありました。それが“「無意識の管理主義」を起点に、あるべき集団生活に向かって「巧みに」子どもたちを誘導していく「適応主義」の保育思想を無意識のうちに身につけているのではないか(本文58ページ)”という指摘に納得しました。そして、同じ子どもの声を聴いても保育士の中に形成された「直観」が「無意識の管理主義」か「無意識の自由主義」かで、導く方向に違いがでるというお話に、保育のやり方で同僚となかなか分かり合えなかった理由がよくわかりました。
 子どもの権利を大切に、食事も活動も強制されない保育をしていきたいと思っていますが、それをどの子にも保障するには、一緒に暮らす大人の人数も保育をするスペースも足りないと思います。しかし、少しでもそのような生活に近づけるためにも職員同士の連携やお互いの考えを理解することが大切だと思うので、それぞれの思いを出し合えるような会議の在り方が重要だと思いました。
 子どもの声に大人が答えを出さず、「とりあえず共感」の態度で臨み、正解のない世界を面白がって生きることができる保育士でありたいと思います。そして、子どもとの対等な関係の中で、子ども同士がつながって成長していけるような保育実践をしていきたいと思いました。

保育に関係あるすべての人に贈られた本

戸塚春美

 まずは、加藤先生の偉大さを感じました。たまたま、この本を読んだ直ぐあとに加藤先生の研修に参加したのですが、その際に加藤先生でもまだ悩みながら進んでいること、新たな学びがあることを知り、いつもどこでもどんな状況でも学び続けることに意味があるのだと確信しました。そして、今回のこの内容は今、保育の世界が求めている内容そのものでした。こうするといいんだ、こう考えればいいんだと悩んでいた心を晴れ渡らせてくれるような力のある本だと思います。そして、事例がたくさんあって、わかりやすい! 読みやすい! つい、何度も繰り返し読んでしまいます。希望シリーズの第1冊、本当に素晴らしい内容でした。保育の仕事に携わる人、そして、保育に関係あるすべての人に贈られた本だと思います。たくさんの人が読み、そしてこの本について話し合う機会があればより素敵だなと思います。続編も楽しみです。

未だ経験したことのない多様性の時代の集団保育

髙橋光幸

 加藤先生の本はたいてい読んでいますが、私の中の一番は『保育・幼児教育の戦後改革』です。この国の保育制度の成り立ち、当時の官僚たちの保育・幼児教育への熱い思いがリアルに伝わってきます。私が言うまでもないと思いますが、名著です。この本もひとなる書房から絶賛発売中なので、まだ読んでいない方で、保育の歴史に興味がある方はもちろん、これからのこの国の保育がどうあるべきかを考えている方には是非読んでほしいと思います。あれ? 違う…。『保育の中の子どもの声』の感想を書くんだった…。いきなり逸脱しちゃってごめんなさい。

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 『保育の中の子どもの声』、この本で紹介されている数々のエピソードは、加藤先生の話を何度も聴いている人にはなじみがあるものばかりだと思います。私も「あ、これ聴いた、これも聴いたことある…」と思い出しました。その次に、エピソードの前後で語られる保育現場への提起の数々にいろいろ考えさせられました。というか、今もあれこれ思索中。正直、「どうしよう…」と思っています。

 特に、「これまでの集団から『逸脱』していると考えられてきた子どもたちを、『意味生成の主体』として歓迎する姿勢が保育実践に求められることになりますし、そこで生じる『差異』と『逸脱』を前提にした関係づくりを保育実践の中心課題に位置付けることが必要になってくるのです。(105ページ)」という提起には参りました。ハードルは相当高いけど、これからのこの国の保育に欠かせない視点だと思うからです。

 私は長年、乳幼児期の集団づくりを研究してきました。今も細々と続けています。なので、この提起をはじめ「保育者と子どもの個別の関係で語られてきた『足場架け』理論を、『集団的足場架け』理論に転換することが必要になってくるのです。(145ページ)」「『みんな一緒主義』『みんな一体主義』の呪縛から解放されるところから出発しなければなりません。(183ページ)」などの言葉で語られる、「多様性の時代の集団保育をいかにして創造するか?」という加藤先生の主張が心に響くのです。「集団づくり」の新たな研究課題を突き付けられたというか、「こういう視点から、自らの保育を、君たちが学んでいる集団づくりの理論を改めて捉え直すべきなんじゃないの?」と、ボールを投げられた思いです。なので、受け止めなきゃと思うのですが、なかなか難しい…。だから「どうしよう…」となっちゃう(笑)。

 冒頭からこの本とは関係ない感想を書いてしまうように、私は何かにつけ「逸脱」してしまいます。だから、保育の中でも「逸脱」しまくってきました。それで面白い保育を創造してきたという自負もあります。でも、この本はそんな私に、「髙橋君、自分が『逸脱』しちゃダメなんだよ。『逸脱』していると考えられてきた子どもたちを『意味生成の主体』として歓迎し、それを前提とした保育を創るのだよ」とダメ出しされた思いです。これまでも何度となくダメ出しされてきましたが…。
 そんなわけで、「私たちが未だ経験したことのない多様性の時代の集団保育をいかにして創造するか?」をテーマに、新たな「集団づくり」のあり方を探究していこうと思います。

 次の「カリキュラム編」にも期待しますが、個人的には「保育者編」に大いに期待しています。多様性の時代の集団保育では、保育者の多様性も大事にされるべきだし、子どもの多様性、保育者の多様性がいかんなく発揮できる条件整備も重要だと思います。そういうところを加藤先生がどう語るのかを楽しみにしながら、それが刊行されるまで、この本、「保育の中の子どもの声」を何度も読み返そうと思います。

これからの自分の保育士としての仕事の道しるべ的な本

保育者

 神戸の文化研セミナー以降さらに楽しみにしていたので、ワクワクしながら読み始めました。表紙が柔らかいと電車の中でも読みやすいですね。何より1ページの文字数が少ないこと、私みたいなタイプにとっては、楽に読み進めました。そしてすぐ下に、親切で丁寧な脚注があるのがとてもよかったです。

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第一章では、
 声にならない声にも耳を傾け、子ども本人すら気付いていない真実の声を聴きとること、聴き取る力だけではなく、切り返す力、ひらめき力。ジュンコちゃんやマサルくんとの実際の場面が記されていることで分かりやすく、現場と繋がってイメージしながら理解することが出来ました。
 そして、今の現場での問題点や課題も、はっきりと分かりやすく書かれているので、これもまた私の保育現場での実際の出来事と重ねながら、厳しく受け止めました。本当にほんとうにそうなのです。でも、皆、正しいと、正義と思って行動しているので、正面から「そのやり方はどうかと思うよ」と指摘しても、関係が悪くなるだけで、保育者同士の対話や向き合い方も、これもまた複雑で難しく、丁寧に対話の時間を積み重ねていく必要を感じ、また、自分の課題でもあると考えながら読みました。

第二章は
 発達的自由、社会的自由の所は、難しく、図を見るとさらに考え込み、何度か読み返しましたが、実はここが自分の置かれている状況での自分の保育観と目の前の保育の現場との葛藤や混乱の、原因というか、違い、差、というのでしょうか、内容の難しさと、保育現場の複雑さとが比例していて、難しいはずだなと。自分の揺れや葛藤に納得がいった感じです。
 そして、関係性を生きる主体という視点をもって保育にあたることで、仲間と生きる生活の中で、豊かな構造をもちながら発達していく子どもたち、ワクワクします、自由を求める主体として育ちを保障することがそこにつながっていくと、責任の重さに身の引き締まる思いです。

第三章では、
 鈴木先生と子どもとのやり取りがあることで、ここでもまた保育の現場のイメージがしやすく、実際の現場を浮かべながら理解していくことが出来ました。大人の思う正しい方向に導くような問いかけではなく、子どもたち自身が問を作り出し自分たちで悩み自分たちで見つけていく。そこには“自分”ではなく“自分たち”があるのですね。あー、あの時の自分だと反省したり、あの時の結果が、それであんな姿になれたのかと過去の保育を思い出し自分の保育を肯定出来たり、自分の実践と重ね合わせながら読み進めました。
 一人ひとりの子どもの声に焦点をあて、その声に丁寧に応答するという議論から、関係の網の目をつくる実践の構築は、保育者の力を試される、試練かもしれませんが、子ども同士の関係性を信じ共に進んでいく、これこそ、沢山の保育者たちが悩みぶつかっている、大袈裟に言えば、絶望から希望へと導いてくれるのではと、子どものなかに希望を育てること、は、実は、保育者にも、今の私にとっても、難しい課題であって、かつ保育という仕事に向き合う希望の光のように思えました。

第四章は、
 ここで特別な配慮を要すると言われている子どものことが取り上げられていることがとても嬉しかったです。なかなか、こういう伝え方をして下さる本に出会うことが少なかったので。平等と言いながら公正でなかったり。自分のいる自治体も、自園だけではなく、逸脱どころか、早期発見早期治療という名のもとに、あっという間に“自閉傾向”とかいう診断結果がおり、上履きと連絡ノートを入れたバックをもってそれぞれの療育に送迎付きで通うことになると言われています。そして何をしてくるのかというと、保育士か児童指導員しか在駐していない中で、少し遊んでその後にアジサイを折ったり、ブドウに色を塗ったりと季節の製作をして戻ってくるのです。良いことはというと、いない間は楽に一斉活動が出来るので保育者のストレスは軽減し周りへのとばっちりがないということでしょうか、そして、子どものほうも、保育者がいつも悩まされていた子が支援の必要な子と認められることで私の責任ではないねと一歩引いて見、厳しさが減る為、二次障害を回避できるということでしょうか。

 水平多様化の世界を自然に生きている子どもたち。「本来、保育実践はそうやって多様な存在として活動する子どもたちが心地よくつながる経験をするために存在しているはずなのです。(本書186ページ)」は、私には、この本の中で一番深く、そして厳しく受け止めました。
 私が引っ越す為の退職の際に、その年の卒園児の保護者からいただいたお手紙の中に「~~先生と過ごし、こんなママでもいいんだなと思うことが出来ました」と書いてくださったお母さんがいました。その子は支援につなげた方がいいという意見の多い中、保護者は様子を見たいということでつながらなかった家庭で、「理解のない保護者」と、園の中ではなっていました。担任になった私と専門機関の担当者は、保護者の意思を尊重し保育の専門性の中で出来ることをと子どもと保護者に向き合っていこうと園長と共に共通理解を得ました。第四章を読みながら、このお母さんの手紙を思い出しました。実践研の本に何例か出たクラスの子ですが、このままでいいのかとたまに不安になりながらも、私の不安に反し、子どもたちの中で逞しく成長していった子です。仲間と共に育つことの大切さ、そしてその後ろにはそれぞれの保護者がいて、それもまた保育を支えてくれていたのです。思い返してるみると、子どもではなく子どもたち、と同じく、保護者も保護者たち、だったように思います。
 内容の一つ一つの分析が出来るほどこの本を読み込めていませんが、いえ、その力はありませんが、この本はきっと、数年間悩みながら迷いながら保育をしてきて、その上で、ある程度の自分の保育観や心持ちを持った保育者が手に取るものなのかなと思いました。そして、読み終え、自分の保育を振り返り、見直し、また力が湧き、保育に向き合える!
 現在の職場で保育や子どもの相談をされるときに、どちらが正しいかの二択、または正しいのは何なのかの答えを求められている感じを受けます。それは同僚だけではなく、園長や主任からも同じです。意見の対立が起きた時、「両方の思いを出し合って話し合う時間を取ったらどうでしょう」とか言ったものなら、その後は私に相談されることはありません。自分のことは棚に上げるとして、子どもにはあれほど饒舌に教育的指導が出来るのに、大人同士といえば、向き合って自分の言葉で話し合うことが苦手なのが保育士なのだなと、つくづく思います。また、救命措置の研修も、嘔吐処理の方法もYouTubeを見て終わりです。便利で簡単なものに惹かれるというか、午睡時間を有効により効率よく使うことが優先される時代です。ICT化の目的が、違う方向に行っているのが現実です。「主体性とは何か(こうである!)」とか「もう迷わない、~~」「正しい環境の作り方」これを読んだら答えが分かって近道、楽(何を“楽”というかですが)になる本、いえ視覚的な短い動画でないと、見ないのかもしれません。現に職場でも「勉強になる本はありますか?」と聞かれますが、「どうしたらよいと書いてありますか?」と続きます。推理小説の犯人を聞かれている感じです。
 それでも、それでも「子どもの声に応答的に応えながら、答えのない保育の出口に向かって試行錯誤を繰り返して、それが一生続く仕事なのですね」「子どもに一つの正しい答えを教える仕事じゃないのですね、私たちのかかわり方によって、子ども自身が課題に気付き探し出していくのですね」「違うから面白いのですね」「なんだかわくわくしますね」そんな会話ができる保育者集団になりたいです。その為には、読んだ人が、現場の保育士たちに、伝わる言葉に変えて発信していく力、共に考えていく力も必要と思いました。言葉の苦手な保育者が伝えられるようになることは簡単なことではありませんが。私の課題でもあります。
 偉そうなことを承知の上で言うと、残念だなと思う本も沢山あって、YouTubeやテレビ出演ではそうなのかなぁという人が人気だったり、子どもへの影響は(悪影響は別として)、数字と比例するのではなく、本当に大切なもの、ことを読み取れた人が、いかに現場に下ろすか、実践するか、語り合えるかが、そしてそこでやっと良いかどうかが分かり、参考になったかどうかが分かり、これからの子どもたちの生き方に影響していくのだろうなと思いました。
 私には、これからの自分の保育士としての仕事の道しるべ的な本であり、自分が子どもたちの中にどう居るか、どう居させてもらうかを、ほんの少しわかった気がしました。第Ⅱ、第Ⅲ巻を楽しみにしています。