人なる書房イラスト スプラッシュ時のワード

ジャンル:

保育の理論・研究

暮らしの保育

異年齢保育の先に見えてきたもう一つの保育論

著・編: 宮里六郎

あたりまえの日常を
丁寧におくる

  • 発行日

    2024年12月17日

  • ISBN

    978-4-89464-309-3

  • 判型

    A5判

  • ページ数

    192ページ

  • 定価

    2,200円(本体2,000円+税)

内容

保育通信2025年2月号に書評掲載(執筆:諏訪保育園園長・島本一男)。くわしくはこちら!

「学校」モデルの年齢別保育とは違う、1歳~5歳の異年齢保育に取り組むと、保育の風景が一変します。見よう見まねで子どもが自ら育とうとする姿や、互いに助け合い育ち合う姿が、あたりまえになります。保育者の子どもを捉える視点や振る舞いも、大きく変わっていきます。何より、園に安心感が満ち、誰にとっても居心地のよい場になります。そこに生まれた保育を、私たちは「暮らしの保育」と名付けました。

目次

 序章 異年齢保育新段階――安心感を土台にした〈おうち〉モデルの「暮らしの保育」 
  1 異年齢保育新段階そして新時代――量的広がりと質的深まり
  2 1〜5歳の異年齢保育の変遷――安心感を土台にした〈おうち〉モデルの「暮らしの保育」 

Ⅰ 「暮らしの保育」の風景 
 第1章 台所と食卓を暮らしの真ん中に――三島奈緒子実践(きたの保育園)から
  1 保育室にキッチンがある食の風景――ごはんは各〈おうち〉の炊飯器で炊きます 
  2 食の原風景――台所の大人は、給食の時間は子どもの食事におつきあいします
  3 大皿盛り――自分で決めて他者と分かち合う
  4 人生に必要な知恵はすべて食卓で学んだ 
  5 台所職員の子どもへのまなざし――食の専門家、一味違った子ども好きな大人 
  6 暮らしを「食」から「衣」や「住」(家事的作業)に広げることも
 第2章 暮らしとしての「季節と天気」「ご近所」、人間模様としての「1歳児」――石坂聖子実践(ひまわり保育園)から 
  1 季節を織り込んだ暮らし 
  2 ひまわり長屋の「ご近所づきあい」 
  3 1歳児がいるのが当たり前の暮らし 

Ⅱ 「暮らしの保育」の子どもの育ちと大人のまなざし 
 第3章 「子ども理解」から「子どもへのまなざし」へ――子どもは理解の対象でしょうか? 
  1 「子ども理解」への違和感 
  2 子どものことは、子どもがよく知っている 
  3 「直接理解」より「間接理解」 
  4 少し先と前の自分と重ね合わせて実感的にお互いを知っていく 
  5 子どもが大人をどう見ているかを知る 
 第4章 発達論的「理解」から実感的「理解」へ――子どもは手持ちの力で今を精一杯生きている 
  1 発達保障:異年齢保育は異年齢でも同年齢でも育つお得な保育 
  2 発達課題:「やりたくなった時がやり時(どき)」 
  3 目の前の子どもたちの姿から「実感として」発達を理解する 
  4 「どんな姿もその子」と多面的に見ます 
  5 異年齢保育(暮らしの保育)の発達論を 
 第5章 変化する大人のまなざし――「知る」「気にかける」「拾う」「距離感」 
  1 子どもを「理解する」ではなく「知る」
  2 子どもの声は「聴く」より「拾う」 
  3 「わかろうとする」よりも「気にかける」 
  4 「気にかける」とは「ちょっと知っている」「作業しながら見ておく」 
  5 「困ったら言ってきてね。それまでは好きにしていいよ」という距離感 

Ⅲ 「暮らしの保育」の構えと振る舞い
 第6章 育ちの基盤としての「形成」 
  1 子どもは大人の暮らしの傍らで育つ 
  2 子ども同士「見よう見まね」で育ち合う 
  3 「教育の意図性」より「暮らしの必然性」「結果としての育ち」 
  4 「暮らしの保育」と「不適切保育」の問題
 第7章 大人の構えと振る舞い――「願いをいったん横に置く」「重ねる、半身で暮らす」 
  1 「差」と「幅」と「気分」を認めて「時間帯」で保育する 
  2 一呼吸置く・願いを横に置く・間合いをはかる 
  3 学校的「話し合い」から村の寄り合い的な「話し込み」へ 
 第8章 大人同士の付き合いとコミュニティ――暮らしの保育に「先生」はいません 
  1 先生とは呼びません――名前や愛称で呼び合う間柄 
  2 保育園は「職場」であると同時に「暮らしの場」 
  3 保護者との間柄――一人の人間として、対等な子育てパートナー 
 第9章 過疎地の小規模・異年齢保育の魅力――地域も元気にする「屋根のない保育園」 
  1 小規模・少人数の保育は理想的な保育条件 
  2 条件的異年齢保育から自然体の異年齢保育へ 
  3 異世代交流とセットの「混ぜこぜ社会」「混ぜこぜ保育」 
 終章 「暮らしの保育」――まとめと検討課題 
  1 異年齢保育の先に見えてきた「暮らしの保育」 
  2 「暮らしの保育」の検討課題 
  3 「人間模様スケッチ」の提案(紹介) 
  4 「暮らしの保育」の発達論構築のために 

【引用・参考文献】 

寄稿1 「暮らしの保育」の夜明け 小山逸子
 1 待ち望んでいた出版――異年齢保育では語りきれない「暮らしの保育」 
 2 「暮らしの保育」は、地域あってのものです 
 3 きたの保育園の「暮らしの保育」への道のり 
 4 未知の世界を共に創りあってきた土台は話し合いと学習でした 

「暮らしの保育」をさらに深めるために――小山さんの「寄稿」を受けて〈宮里六郎〉 

寄稿2 異年齢保育の背景と年齢別保育との関連 渡邉保博 
 1 保育・幼児教育における年齢別クラス編成をめぐって 
 2 年齢意識と今日の保育・幼児教育の問題 
 3 年齢別保育と異年齢保育との関連

著者の略歴

宮里 六郎(みやさと ろくろう)
1955年、鹿児島県種子島生まれ。中央大学文学教育学科卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。2020年年熊本学園大学社会福祉学部子ども家庭福祉学科退職、現在熊本学園大学名誉教授。専門:保育学。熊本異年齢保育研究会代表、全国保育問題研究会異年齢保育分科会運営委員。
主な著書:『里山の保育―過疎地が輝くもう一つの保育』(編著、2020年、ひとなる書房)『「子どもを真ん中に」を疑う―これからの保育と子ども家庭福祉』(単著、2014年、かもがわ出版)『保育に生かす実践記録―書く、話す、深める」(共著、2006年、かもがわ出版)『「荒れる子」「キレル子」と保育・子育て―乳幼児期の育ちと大人のかかわり」』(単著、かもがわ出版、2001年)

●寄稿
小山 逸子(こやま いつこ)元きたの保育園園長
「『ずーっと居たくなる暮らし』を求めて」『季刊保育問題研究』全国保育問題研究協議会編集委員会編、319号、新読書社、2023年他

渡邉 保博(わたなべ やすひろ)元佛教大学教授、静岡大学名誉教授
『「寂しい人のいない」保育園づくりと生活保育の探究:学校との関係を問い続けたある保育園の実践史に学ぶ』新読書社、2023年他

読者からの声

ひまわり保育園(熊本県熊本市)での読書会、職員からの感想

本を読んで、たくさんのワード(ひと呼吸、拾う、距離感など)が出てきましたが、以前働いて同年齢の時では当てはまらなかっただろうなと感じました。一斉保育だし、しないという気分なんて認めてあげれない、待つ時間さえもないという常に子どもも大人もピリピリの空気感があったように思います。でもいまその言葉を聞くと、子どもたちとの暮らしの中で「あーそうそう! わかる! わかる! 大事だよな〜!」「あの場面がそうだったよな」など自分の経験と重ねながら考えて振り返ることが多いです。それでも日々のところでは、悩むことも多いし、大人の思いが先走ってしまうこともあるけど、そんな時はまたこの本を読んで、大事なこと、自分が大切だなと思うことを振りかえられるようになったらいいなと思いました。ありがとうございました。

「暮らしの保育」というタイトルの本、それを手にする人が多いとの事、「暮らし」の意味をもう一度考えてみました。そして「暮らし」に温かみを感じ、「異年齢」という言葉だけではない、大人も含めた日々の暮らしの中で,複雑に織りなす人間模様、温かい営みを想像し、それを求めているからではないだろうかと思いました。またそれだけ今の保育現場が疲弊しているのだろうとも考えました。そんな時代に、この本に出会い、多くの実践と宮里先生の考察と理論に多くの保育者が力付けられただろうとも思いました。
その中で「願いをいったん横に置く」「重ねる、半身で暮らす」が特に心に残りました。「差」「幅」「時間帯」これらを保障することで、複雑な人間模様が繰り広げられ、より深い営みになり、そこで暮らす子ども達は、より奥深く、幅のある人として成長していくのでしょう。 そして異年齢で暮らしたこの場所が、子どもたちの心を癒す所、元気を取り戻す所になれるよう願い「いつでも帰って来てね」と送り出したいとも思いました。10年前に始まった研究会で、そこに集う人たちと「異年齢の良さを感じているものの、それを言葉で上手く語れないね〜」と話していたことも思い出しました。言葉で、文章となり、本となった事で、この素晴らしい「異年齢保育」を確信でき、多くの人に伝える事が出来ます。ありがとうございました。

「一呼吸置く」「出方を見る」「大人の願いを一旦横に置く」というワードが心に残った。「早い・遅い」「出来る・出来ない」等でまとめられていた保育も経験した私にとって、今はそのまま、またその次に働きかければ良いのだと分かり心が軽くなるような思いだった。今の状態を何とかしよう! しないと! と力が入っていた自分を振り返ることができた。大人の願いは一旦横に置く。直ぐに伝えず、出方を見る。タイミングを見て背中を押してみる。
時間の幅の中で子どもたちは自分なりに考えて行動する様になる事を、現場の子どもたちの顔を思い浮かべながらイメージする事ができた。「暮らしの保育」が同年齢、異年齢に関わらず多くの園で展開されるといいなと思う。

【暮らしの保育】を始めてからは、「暮らしって?」「これが暮らしなのか?」「これは暮らしじゃないからしたらいけない?」等など考える日々でした。最初は形をかえることから入った暮らしの保育。今は、形だけでなく大人の見方やまなざしが大きく変わったと感じます。今回の暮らしの保育の本を読んで、そして読書会に参加して改めて保育者自身の見方、捉え方を大きく変える保育の在り方でもあるのだなと思いました。【暮らしの保育】には大人の温かいまなざしが感じられます。そんな大人の傍で同じく温かいまなざしで小さい子を見る大きい子。そうやって大きくなることで、小さい子は大きくなってから自分がやってもらったように小さい子を温かなまなざしで見れるのでしょうね。まなざしも「伝承」ですね! 1〜5で過ごしていると見た目はごちゃごちゃバタバタ大変そうに見えるかもしれません。しかし、みんなの心の中は穏やかで幸せだと思います(そうあって欲しい!)。【暮らしの保育】がこれからもっともっと増えていくといいなぁ。。。と思いました!

今まで異年齢の話を聞いたり、本を見たりして"良さ"を自分なりに理解して向き合ってきました。でも、実際は想像以上の事が起こり、「自分はこれでいいのかな」と思うことが多々ありました。今回先生の本を読み、自分がまだ何となく不安に感じていた部分が言葉で書いてあることで、妙にすっと入ってきて、改めて納得できたことが多くありました。これからも間を大事にし、一呼吸おきながら、子どもと共に助け合い、失敗しつつも楽しく過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。

ちいさな読書会をしてみて、職員が選んだ章をきき、「へぇ、そこなんだ」と思ったり感想の中にそれぞれの思いを知ることができて、1人で本を読んだ時よりも本の理解や捉え方が深まり楽しかったです。新しい気づきやワードもたくさんでたので、次回の本に使われた時は「あっひまわりのだ!」と笑うことにします!
個人的には「暮らしの中の安心感ってどういうことかな~」と思いをはせながら今年は過ごしていきたいと思いました。

小さな読書会に参加する事で、本をしっかり読もうとする意識が持て、他の人の意見を聞けてとても貴重な時間となりました。
本自体、とても読みやすく、それは実践を元に積み上げられているからだと思うし、感想にもあったように、漠然とした思いをきちんと言葉で表現されていた事で自身に落とし込めた気がします。日頃懸命にやっている事が一冊の本になり、これからの保育に生かされる、生かしていこうという前向きな気持ちになったのも感謝です。願わくば保育士の学びだけで終わらず、社会の中で「保育」の役割の重要性、「保育士の専門性、その大切さ」などが理解され、保育士の環境向上の一助になっていって欲しいし、先生にもその点を踏まえた活動もお願いしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします

暮らしの保育を読み、小さな読書会に参加して、いろいろな園の様子が分かり、改めて異年齢の深さを感じました。『子ども理解』ではなく、『子どもへのまなざし』を向けて年齢や発達に捉われず、その子自身がどのような子であるかを知り、寄り添うことが大事であり、これからより意識していきたいと思いました。また、くらしの中であまり出しゃばらず、困った時にいつもそばにいる、この人がいれば安心できるなーと子どもたちに思ってもらえるような保育者になりたいと思いました。今回の読書会で自分がおうちの中でどのような存在であるかを振り返るきっかけになったので、これからも今回学んだことを頭に置きながら毎日くらしていきたいと思います。ありがとうございました!

「待つ保育」は大事だが、「待つ」という心構えだけでは、なかなか口出しは止まりません。のところが、私のことだと思いました。「子どもを大人の指示通りに動かす」今までの保育から、脱却出来ていなかったことに気づきました。願いを横に置くも、私にできるだろうかと考えさせられました。
ただ、私も、指導、援助ではなく、「手助け」のような自然でさりげない振る舞いの出来る大人になりたいと思いました。

今回小さな読書会に参加させて頂いて、改めて異年齢とは、暮らしとはと考えることが出来ました。
私は第6章の感想を言わせて頂いたのですが、見よう見まね、模倣は生きていく上で大切な力だと思います。その力を小さいうちから養うことが出来るのは大きい子、小さい子がいる環境だからこそだと思いました。
また、地球温暖化が進み、最近では四季を感じられなくなってきています。梅仕事、干し柿作りなどその季節ならではの作業をしていくことで、四季に触れ、大人から大きい子へ、大きい子から小さい子へ、小さい子からそのまた小さい子へ繋がっていくことも暮らしなのだなと思いました。
皆さんの感想も聞くことができ、とても参考になりました! ありがとうございました!
本文での「自分のおうちのごはんの先生はこの人、安心出来る存在」「身近で安心できるお母さんのような存在」とあり、私もそうありたいと改めて思いました。食べる事が好きで、子ども好きな大人として、子どもたちと暮らしを一緒に楽しみながら暮らしていけたらと思います子ども自ら食を大事にし、食が好きな子どもになってもらえるように日々の食の積み重ねを大切にしていけたらと思います。
また大人の暮らしを見よう見まねで育つとあり、まねられてもいい振る舞い、言葉づかいも気をつけないとなと思いました。

今回暮らしの保育を読ませていただき『食』は、暮らしの真ん中だったり、みんなで囲む食卓の重要性だったりを、改めて考える事が出来ました。
保育園の子どもたちは、小学生より長い時間、保育園で過ごしています。お腹も心も満たしてくれる食事は、午前と午後をつなぐ架け橋の様な役割もあると思います。『食』とは、食卓で話題にしやすい、コミュニケーションがとりやすい等、人と人をつなぐ、1番手っ取り早い方法だと思います。つながるという事は、色々な見通し(生活リズム・不安解消=安心・応用)がもて、みんなが安心して、心地よい暮らしが出来ることにもつながると思います。食材にも旬がある様に、子どもの発達(旬)も大切にしたいと常々思っています。かまど(給食)の職員は『食の専門家』ですが、加えて『食べることが好きで、子ども好きな1人の大人』です。思いはみんな一緒。今回の勉強会で、改めて色々考える良い機会となりました。ありがとうございます。

暮らすように保育すると、こういう風景がある(見えてくる)というのが、わかりやすく書いてあり、人数や編成も違う各園の事例からイメージもできとても読みやすかった。「暮らしの保育」ってどういうこと? と、こういうことか、といろんな環境の保育園の事例からイメージできるように思う。
また、学生の頃から人間関係という言葉を使って子どもたちの様子を見ていたが、「人間模様」という言葉の方がやわらかく、その場面を丸ごと包んでいる感じがする。良いとか悪いとかでなく、今のありのままが未来に繋がっていくんだと、染み込む感じがした。

今回、小さな読書会でひまわりは1〜5歳児の異年齢保育を丁寧にやっていこうとみんなで確認できたことが何よりもうれしかったです。
この本の大好きなのは、「はじめに」と「もくじ」です。もくじを追っていくと、暮らしの保育の骨組みが見えて来ます。安心感の土台の上に台所と大皿があり、見上げれば、季節と天気、お隣さんがいて、子どもと大人がワイワイいいながらごちゃごちゃいる。
誰もが知っている「暮らし」という言葉からは、ふんわりとした広がりと自由が感じられます。「保育」からは、形式、計画、保育者が行うものというイメージが感じられ、だからこそ、保育に行き詰まりを感じた人たちは、相交わらないものがどう結びつくのか期待と未来を感じたと思います。
今まで、大人側から子どもをどう分析するか一生懸命考えてきたけれど、「子どもが大人をどう見ているかを知る」は保育感の大きな転換だと思いました。

年度末は、日々の暮らしの中で大事にしてきたこと、子どもたち一人ひとりの育ち、育ち合いの姿、この1年を振り返り異年齢のくらしってやっぱりいいなぁ〜と改めて実感します。その一方では、旅立つ5歳児をめぐりモヤモヤした感情にもなります。特に、付き合いの長い今年の5歳児。発達が緩やかだったり、興味関心に偏りがあったり、自分のペースやルールがあったりと、とにかく個性豊かです。5歳児になっても、小さい子以上に手も目も気もかけ、「差」と「幅」と「気分」を認めながら一緒に暮らしてきました。そして、それぞれの確かな育ちを実感しています。春からは、これまでのくらしとガラッと変わる学校生活がスタートします。それを考えると4年間一緒に暮らしてきたもう1人の母は、余計な!? 心配からついつい口うるさくなってしまいます。そして、そんな自分が嫌だなぁーと振り返っては反省する日々です。この先も一人ひとりの「差」「幅」「気分」を認めてもらえたらいいのに……。過疎地域の複式学級のように、学校も少人数の異年齢編成だったら!? 自分で学びたいことを(授業)それぞれが選び、学んでいけるような学校だったら……。そんなことを考えてしまうのです。「暮らしの保育」を読みながら、異年齢保育が当たり前になったら学校教育も変わっていくのもしれない、そしたらこんなモヤモヤも無くなるのかもしれない……と感じました。異年齢保育、この本、読書会の輪が広がり、わざわざ「異年齢」とつける必要がないくらい幅があって当たり前でみんなが息苦しくない社会になればいいなと思います。

★ひまわり保育園は、1998年に3~5歳の異年齢保育に移行し、2014年から2~5歳の暮らしの保育に転換。2021年に新園舎と同時に1~5歳の暮らしの保育になりました。著者にとって1998年以来一緒に歩んできた異年齢保育・暮らしの保育の同志・パートナー。


北合志保育園(熊本県菊池市)での読書会、職員からの感想

いろいろな園のそれぞれの視点からの実践が手に取るようにわかり、共感出来たり、あちこちに保育のヒントがたくさんありました。これまで、疑問に思っていたことや、漠然としていたことも、新たに気づかされたり納得できるところも多くありました。
子どもが日々の生活の中で自分の力を使って「今」持っている力を活かした保育が重要なのだと再確認できました。私たちの今の異年齢保育から見えてきているこの先の保育を改めて考える機会となりました。

正直、自分自身の中にある異年齢保育というもの自体に中々自信が持てたり持てなかったりしていましたが、今回小さな読書会に参加させていただき六さんとお話することができ、少しずつですが自信を持つことができました。
園が一つの大きなお家や地域として、分かち合い時にはぶつかりながら大人たちが団結して子どもたちの安心できる居場所をつくっていけたらと感じました。
今回は「馴染む」こと、その言葉がとてもしっくりとくる部分があり、まず園として職員が異年齢保育(暮らしの保育)に馴染むことから始められたらと強く思った勉強会でした。

現在3〜5歳の異年齢保育をしていて、今後2歳〜1歳〜という保育を見据えている私たちにとっては、読めば読むほど、年齢幅のある異年齢保育に挑戦したくなるような本でした。1、2歳が常に一緒に生活をしているからこその、癒しや育ち。何かを教え込むのではなく、暮らしていくことの大切さ。保育者としてではなく、ともに暮らす大人としての立ち位置。いろいろなことを改めて考える機会になりました。

暮らしの保育を読み、今まで自分は保育に力が入りすぎていたことに気付きました。
いつも子どもの側にいて、大人側から働きかけることが大事だと思っていましたが、大人が何かしながら横目で子どもを見ている、困った時に応える、こんな距離感いいなぁ安心できるなぁと思いました。
これからは、あれやこれやと想像して子どものことを分かろうとせず、子どもに聞き教えてもらう、そんな関わりをしていきたいです。

暮らしの保育の本を読んで、特に印象深く残った言葉は「余計なお世話をしなくても子どもは子どもなりに育っている」という文章です。
保育の中で、子どもに教えているという感覚がどうしても強く働いてしまうことが多いのですが、先回りせずに気にかけること、子どもが保育士に心を寄せ、言ってきやすい距離を保つことなど、その間合いを意識することが大事なのだというところが、今後子どもたちとの「暮らし」のなかで活かしていきたいヒントになりました。

今年度入職するまで異年齢保育自体が聞き馴染みがなかったため正直もっと難しくとらえていました。
これまでも子どもたちにとって保育園が安心して過ごせる場所になることに努めていたのですが今まで保育士だからと肩ひじを張りどうしても上から子どもたちを見ていたように思います。しかし、保育士も一緒に暮らす一員として何気ない日常が繰り広げられることがまさに子どもにとって一番の安心に繋がると『暮らしの保育』を読んで気づくことが出来ました。
日本の経済状況の変化で両親共働く時間がどうしても長くなり家庭のあるべき姿が変化している現代こそその役割を担うのが新しい保育園の姿であり登園も降園も子どもたちにとっては変わらない『帰る居場所』になればそれは保育園の理想の姿なのだと思いました。

この本を読ませて頂き、異年齢保育の研修に参加する中で、自分の思っていた保育園のイメージとは違い、このような保育の形もあるんだなと勉強になりました。私の思っていた保育園のイメージは学校に行くための練習をする場所だとなんとなく決めつけていた気がします。「暮らしの保育」というフレーズもどこかホッとする安心するワードだなと感じます。これから私たちが進みゆく道のヒントを頂いたように思います。

「人間模様スケッチ」のところがとてもおもしろく、 保育って本来はこういうことをいうんだろうなぁとつくづく思いました。何かができるできない。保育とはこうあるべきだと思っている自分がきつく、もっと子どもたちとお家のように自由に生きていくことができるなら、なんて楽しい毎日だろうと思います。そのためには 自分に余裕がければなりません。穏やかな自分でなければなりませんね(笑)。持って生まれた性格なので、そうそう変わることはないかもしれませんが、私が家訓を決めていいならば 1日1笑にするかもしれません。そのようなことを考えさせてくれる本でした。
いろんな話を聞いていく中で保育とは暮らしのある保育をしていきたいと思うのなら、家族、家庭=それが 安心できる居場所となるのであれば家族は毎年変わらないほうがいいその中で伝わっていくことがたくさんあるはずなのに伝わっていかない。 伝承していかないということに気づかされました。それは何なのかと深く掘り下げて話し合いをしていく必要が北保にはあるなと思います。

時代がどんなに変化していっても、何気ない日々の暮らしの中で育っていくという確信がもてるようになること。ここがぶれなければ、 保護者にも伝わっていくことはたくさんあると思います。行事に振り回されることなく日々の暮らしを大切にしていきたいなと思いました。
「暮らしの保育」の中にでてくるそれぞれの園の暮らしの様子や、宮里さんのお話を伺って「異年齢保育って何だろう」と日々感じていたモヤモヤが吹っ切れてスッキリしました。一緒に「居る」のではなく、一緒に『暮らす』のが大事なのですね。大きな集団としての異年齢保育ではなく、心の基地のような居場所であり安心感が土台にドッシリとある小さなおうちの暮らし。しかも、一歳からの幅のある暮らしだからこそ、そこで芽生える色々な感情に自分なりに折り合いをつけながら、又、人に対する思いも感じながら、自然の暮らしの中で、心豊かに育っていくのだろうと改めて感じました。私たちがやってきた三歳からの異年齢保育の中で、それぞれが感じている疑問や課題を皆で共有して、簡単ではないかもしれないけれど「大人の暮らしの傍らで気ままにすごす」異年齢保育が、どんどん広がっていたらすばらしいなと思いました。

今回の研修に参加して、改めて食が大切、保育と一緒にやっていくんだと思いました。
ここ数年衛生面の問題で食育が出来なかったので、ずーっとどうしたら良いのかなと思ってました。
今回の研修で、自信を持って北合志の食育を進めて行って良いんだと後押ししてもらったようなきがします!
今年度より、新しい栄養士さんに変わり話し合いながら食育が進められ北合志らしい活動が出来そうなので楽しみです。
北合志ならではの異年齢が出来て行く事が目標です。
ありがとうございました。

4月から北合志保育園へ入職し、約9ヶ月が過ぎようとしています。初めて触れる異年齢保育、体感としてなんとなく感じていたものが、暮らしの保育の本を手に取り、六郎さんのお話を聞いて、現場の先生方と意見を交わし合う中で、文字や言葉で明確に自分の中に入り、より深く感じることが出来たように思います。
まずは凝り固まった自分の保育観を捨ててみる! 肩の力を抜いて、子どもたちのことはもちろん、自分の為にも楽しい暮らしを模索し続けていこうと思います。心のゆとりを持って、気ままに、季ままに(^^)

★北合志保育園は、現在園児33人、3〜5歳の異年齢保育。2〜5歳の異年齢保育への移行を検討中。


『暮らしの保育』を読み、今の保育の現状では厳しく、無理に決まってるとの声も聞かれそうな、だからこそ今、みんなで考えなくてはいけないんだと思いました。
新人の保育者、学ぶ余裕さえなく1日1日を必死に頑張っている中堅の保育者。当たり前と思ってそのスキルを磨いて根性論で乗り越えて積み上げた専門性。その保育者たちとこの本をつなぐ役割が必要なのでは。自分の言葉を持ち、伝えていく人、対話していく人が。
「暮らしの保育」の中に出てくる保育をメソッド的に真似るのではなく、考え方、心もち、子どもへの向き合い方などを、実践を通して、それぞれの場面で自分の言葉でその人たちへ橋渡しすること、あなたはどう思う? と聴く耳を持ち共に考えていくこと。そんなことが出来たらなと思いました。
保育の現場は想像以上に大変なことになっています。もっと悲しいのは、それを国も行政も気づいてないように感じてしまうことです。この保育論が一人でも多くの人の心に届きますように。良い本の出会いをありがとうございました。


1980年代、信州の八ヶ岳山麓で保育にかかわりました。小規模でしたが、大きい子、小さい子、というようにして、保育していました。そのとき、必ずしも年齢別の保育でなくても、こんな、楽しい保育実践があると、強く感じたものです。今回、二回読ませてもらい、考えることが、たくさんありました。ぜひ、多くの保育関係者に読んでほしいです。議論もしたいものです。ついでに、いま、頭にあることを、もう少し書きます。地域の暮らしとともに、保育をつくってきたし、そこに、魅力があるということを、本書で、確かめることができました。
最後になりますが、暮らしの保育を支えるのが、本来あるべき、乳幼児の保育ー広い意味での人間形成、教育的営みではないかと、思います。宮里先生の問題提起は、深いと痛感します。ひとことの思いを追加すると、ー学校モデルの年齢別とは違うーというところが、掘り下げて理解したいです。暮らしの保育が、学校を含めて、原点ではないかと。 元白梅学園大学学長 近藤幹生


あさひ森の保育園(熊本県八代市坂元町)職員からの感想

この本を読んで保育の原点はこういう事ではないかと思いました。昔は何気なくあった暮らし。しかし、それが難しくなってしまった現代だからこそもう一度保育とは何かを考えなおし子どもも大人も安心感に満ちた暮らしの保育の重要性を感じました。異年齢保育もそれぞれの園のやり方が書いてあり当園らしい異年齢保育をみんなで創っていけるヒントとなると思いました。肩に力が入りすぎて疲れている保育者へほっとできるようなさりげない言葉がところどころ書いてあり、読んだ人は嬉しくなるのではないかと思います。読みながら自分が子どものころみていた風景や気持ちが大人になるにつれ忘れかけていたことに気づかされました。

異年齢の経過をわかりやすく知ることができました。今の保育はいろんなものが入り混じっていてその園の特徴と言えばそうかもしれないし、それが子どものためと思ってされているとは思います。そんな中で保育の初期化というワードが暮らしの保育とつながって響きました。

子どもたちの暮らしの様子(日常の一コマの実践例)がとてもほっこりする。大人のまなざしが温かくて暮らしの保育は安心感が土台になっているのが感じられる。人間関係ではなく人間模様でみていくという見方はすごいと思った。人間関係となると〇×と評価してしまいそうになるが人間模様でみると人と人との関りを広く流れで見るようになってきた。

理想を描いて保育の世界へ入り、いつのまにか凝り固まった考え方になっていた自分に気づけます。どの時代も子どもはこども。時代に沿って社会のニーズに合わせた保育では子どもにもそこに係る大人にもしわ寄せがくるように感じます。保育の中には暮らし・食・異年齢・村や過疎地の生き方にヒントや共通点がたくさんあり、そもそも保育とは?と考えさせられます。明日より今日を、今をどう過ごすか、子どもにとってそして保育者にとってどんな保育が求められているのか、必要なのか、読んで感じてほしいです。

年長さんが暮らしという言葉を使うようになった。子どもが保育園で過ごすことを暮らしていると感じているようになったのはどんなところからなんだろうと考えながら読みました。

暮らしの保育て何だろうと思いながら週1のおうちの日を過ごし、ごちゃまぜでも心穏やかだなあと感じてました。本の中には大人の傍らで子どもが暮らす様子や今まで異年齢での暮らしの保育経過があり来年から始まるあさひ森らしい暮らしの保育「里山」を思い浮かべワクワクしてきました。大人も子どもも安心できる居場所は大切だな~。

暮らしの保育は不揃いを当然のこととして幅を前提とした保育の展開で、そこにはおとなの構えと振る舞いがいかに大事か考えさせられました。また、保護者間で暮らしの保育の考え方が「伝承」されていくのがいいなあと思いました。子どもも大人も共に今を丁寧に生きる~こどもはいつも手持ちの力で精いっぱい生きているというメッセージに心うたれました。これから異年齢保育に取り組んでいく私たちにとって勇気をくれた本です。

★あさひ森の保育園は過疎地にある定員40名、「里山保育」をコンセプトに保育しています。現在週1回金曜日に1~5歳の異年齢(交流)保育をしていますが、2025年度から毎日1~5歳の異年齢保育になります。

書籍に関する感想、コメントはこちらから

メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。また、* が付いている欄は必須項目となります。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

次回のコメントで使用するためにお名前、メールアドレスをブラウザに保存いたします

CAPTCHA